ライター・ヘイズです。こんにちは!みなさま、ステイホームしてますか?自分だけではなく、大切な人たちを守るためにも、出来ることから少しずつですね。

 

さてさて、自宅にいながらできることを考えてみました(゚Д゚)エッ⁉それは。。。

そうです、「the ボトルの底を見てみようゲーム」です(゚Д゚)エェエッ‼

 

日常生活でボトルの底を見ることって、あまりないかと思います。自宅にいる時間が普段より長い今こそ、ぜひ挑戦してみてください。

 

ポイントは、ボトルの底面にある線です!さぁ、いくつ見つけられるでしょうか!

 

冷蔵庫の中にある、調味料用のボトル。洗面所にある、スキンケア用のボトル。お風呂場にある、ボディケア用のボトル。掃除用液体石鹸、衣類用洗剤や柔軟剤のボトル、点眼薬や哺乳瓶。。。ブロー成形されているボトルたち意外とありませんか(*゚▽゚)ノ

 

ボトルの底を見るついでにササッと掃除をしてしまえば、家も素敵に綺麗になるし、運動不足解消に繋がるかもな一石三鳥なアクティビティです(゚Д゚)ムッ⁉明るいニュースの少ない昨今ですが、気分転換にいかがでしょうか。。。

 

-Hayes


ライター・ヘイズです。こんにちは!先週に引き続き、ご退職された顧問のインタビュー記事をお届けします(*゚▽゚)ノ

 

【タハラに在職中の社員へ向けて、一言お願いします!】

そうですね、3つほどあります。

①自分の仕事に対し、強い信念を持つこと。

強い信念をもって仕事に当たれば、人も運も引き寄せることができます。

②自分の仕事に対し、本道と側道を持つこと。これは、昭栄産業の社長の言葉です。

それぞれ、自分の仕事における「本道を極めること」を念頭において努力することが重要(なかなか達成は難しい事だと思います…)ですが、これだけでは技術者として不十分であります。本道のほかに、側道を持つようにしなければならない。その側道の知識、つまり趣味でも遊びでも何でもよく、興味をもって理論を理解することが多いほど、本道における業務に多くの助けになることがあるのです。

③ものづくりは真摯であれ。

ものづくりには、設計者の思いが正直に結果として現れてきます。「これでいいや」とか、「この程度だろう」という妥協があると、必ずしっぺ返しがきます。特に、トラブル対応などは、基本に返り、原因を正面からとらえ、場当たり的でなく真の対策を採らなければならないですね。

 

【ご退職を機に思うことがあれば教えてください】

一言、「諸先輩方も含め、皆さんに感謝」の気持ちです。入社後から、自分のやりたい「技術職」で生きてくることができ、この間、多くの皆様に助けていただき、ここまでやってくることができました。ありがとうございます。

 

【最後に、誰も知らないタハラ秘蔵ストーリーはありますか?】

1975年入社当時、醤油ボトルは塩ビ製が主流でした。そんな時、九州のメーカーから成形機の受注があり、単頭ダブルステーションの多層成形機を開発することになったのです。この成形機のヘッドに大きな問題はなかったのですが、型締機構(型締後に金型だけ下げてパリソンと干渉を防ぐ機構です)の駆動部品にトラブルが多く、結局はキャンセルになってしまったのです。この後、この九州のメーカーは、PETの2軸延伸の開発をおこない、国内初となるPET製の醤油ボトルを世に送り出します。以降、世の中の醤油ボトルは、PET製が主流となる時代を迎えるわけです。このように、タハラの多層成形機の歴史は45年前に始まりました。世の中のニーズに応えながら、日々改良をおこない、現在の差別化技術のルーツとなっています。

 

≪ヘイズの所感≫

インタビューを受けてくださって、ありがとうございます‼在職する社員への温かい言葉を心に留めて、日々業務に精進し邁進してまいります。たまに事務所に遊びに来ていただけると社員一同うれしいです(*^^*)長い間、大変お世話になりました。感謝の気持ちを込めて。。。

 

思い出アルバム②

 

【顧問談】船堀の旧設計室です。当時はドラフターを使っていました。

【ヘイズ談】なんとも時の流れを感じます。。。今はCADでデジタルな作図ですが、当時は手書き図面だったんですね!顧問は笑顔で作業中‼

 

【顧問談】タハラの野球部創設時の時の写真です。

【ヘイズ談】弊社には言わずと知れた野球部が存在するんですよね。顧問は左から2番目。良い笑顔してますね!右端に写るのは、なんと現技術部部長です。今も変わらない座り方!

 

-Hayes

 

 


ライター・ヘイズです。こんにちは!今週と来週、弊社社員ブログではサプライズゲストをお迎えする予定です(゚Д゚)ダレッ!?

 

さぁ、そのゲストとは。。。先月をもってご退職された顧問です!(゚Д゚)オォッ‼顧問は、タハラに入社以来45年の永きにわたり、職務に精励され、弊社の発展に多大の寄与をしてくださいました。この度、ご退職されるにあたり深く感謝の意を表します。

 

それでは、インタビューをご紹介します!

 

【タハラで働き始めた頃の話を聞かせて頂けますか?】

1975年(昭和45年)に入社した当時は、株主である兼松江商と同じ子会社だった昭栄産業と合併し、田原昭栄機工となった時期でした。本社は江戸川区船堀、工場は葛飾区四つ木にありました。当時の経営状況は最悪でした。入社直後の12月には、賞与支給をめぐって、組合はストライキをするような状況です。タハラの創立後、ストライキがあったのは、この1回のみです。合併前に、ほとんどの中空成形機の設計者が退職してしまい、残った設計者は中空成形機の知見のない素人ばかりでしたが、それでも若手社員の多い職場で、明るく活気のある団結力の強いチームとして楽しく仕事ができました。

 

【忘れられない話などありますか?】

大手化学メーカーのK社と、3600本/hのロータリ成形機を共同開発するか否かの打合わせをしている時でした。K社の担当者から「タハラさんの技術力は何ですか?」と問われ、当時のタハラ副社長が、「当社には特異な技術力はありませんが、どこにも負けない行動力があります。」と答えました。これがきっかけで共同開発が始まったのです。共同開発が始まり、K社の担当者から、「夜遅くまでテストをし、翌朝には改良図面ができている。改良箇所が修正されている。」と当社の行動力を評価していただきました。タハラのものづくりの姿勢を理解してもらうことができたと瞬間だと思います。これらの経験を通し、現在のK社と信頼関係を築くことができたと思っています。

 

【もっと忘れられない話を聞かせてください!】

入社直後の当時は、2年ごとにプラスチック・ゴムに関する展示会が開催されていました。タハラは、主力機種だったTPの後継機としてTPZの開発展示をしました。TPZは、押出機駆動モータを減速機直結型にしており、当時は直結型押出機の先駆けでした。私は、この減速機の設計を担当していました。先行技術資料などなく、知見もなかったため、技術図書を参考にしながら、歯車の強度計算をして設計を完成させました。しかし、これを製作/組立て、いざ運転すると大きな音が発生してしまい、展示会で運転できる状況ではなかったのです。直結型とベルト駆動では歯車の回転数が大きく異なり、高速運転する歯車は研磨しなければならないことが分かりました。また、これが音の発生原因だったわけです。成形運転ができなかった展示会は、この時だけだったと思います。

 

≪ヘイズの所感≫

会社の合併、ストライキ、人材不足。。。前途多難なキャリアスタートだったんですね。それでも、当時の若手設計者たちが今のタハラの基礎を築いてくれたと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。ものづくりに対する姿勢もさることながら、トライアル&エラーで臨んだ展示会も、当時を振り返ると感慨深いです。さて、来週もインタビューの続きをお届けします!(*゚▽゚)ノ

 

 

【顧問談】入社当時の設計員と皆で信州にドライブ旅行をした時の写真です。

【ヘイズ談】右端にいらっしゃるのが若かりし頃の顧問ですね。なんと、当時25歳‼

 

-Hayes