ライター・ヘイズです。こんにちは!先週に引き続き、ご退任された鶴田前社長の
インタビュー記事をお届けします(*゚▽゚)ノ

【タハラに在職中の社員へ向けて、一言お願いします!】
そうですね、タハラの『行動指針』を大切にしていって欲しいですね。こちらです。

『結束は和をもって貴しとなす』
何事にも、社員同士が協力し合って対処していくことが大事です。

『行いは知行合一と心得よ』
自分が知っている事は実行する事。この姿勢は、どの業務にも当てはまります。

『感性で気付け、違和感を見過ごすな』
ちょっとした違和感や気付きは、本当に大切です。職場がより安全な場所へとなりますし、
自分自身や同僚を危険から守ることもできます。また、整備しやすく使いやすい機械の
製造にもつながりますよね。つまりは、お客様の満足度を上げることに寄与できます。

『変化なくして未来なし』
現状に甘んじてはいけません。これからも、良い方向に変化をしながら、
強い組織になっていってほしいですね。

楽しい社内イベントを誰でも立案して開催していける雰囲気が好きです。BBQやハロウィンは、
楽しみな社内イベントでした。一転して、仕事に取り掛かっている時は、厳しい目を持ちつつも、
お互いに助け合いの気持ちや行動を忘れずに。覇気のある元気な挨拶、問題が発生すると、
解決に向けて部署を越えて次々と人が集まってくる。こういったタハラの文化は、
いつまでも残して欲しいなと思っています。

【最後に、誰も知らないタハラ秘蔵ストーリーはありますか?】
では、タハラ創業時のお話でも。。。もちろん、私が入社する前のお話です。
タハラは、田原秀雄さんという方が1961年に東京都江東区砂町で創業した会社です。創業時は『田原鉄工所』という名前でした。もともと印刷機や製袋機のロール製造を
していたそうです。当時の日本は高度経済成長期の真っただ中。新たな事業として選んだのが
『ブロー成形』だったようです。当時、ブロー成形機の国内メーカーは4社程ありました。
どこもポリエチレンを使う成形機のメーカーでした。そこで、タハラは差別化を図り、
塩化ビニール(塩ビ)樹脂を使う成形機の製造を始めたんです。味付き海苔などが入っている
透明な筒状の容器といえばイメージし易いでしょうかね。こういった容器は、塩ビ容器が
登場する以前はガラスを使っていたんです。ガラスは重いし割れやすい材質ですが、
塩ビは割れないし軽いし丈夫ということで、一気にその国内市場を拡大させました。
また、育児アイテムとして欠かせないベッドメリー。当時はこのベッドメリーに
付いている動物たちの製造にもタハラの成形機が使われていたんですよ。今の市場では、
塩ビ容器は限られた用途だけとなり、ほとんどがPET樹脂に置き換わっていますね。

《ヘイズの所感》
インタビューを受けてくださって、ありがとうございます‼タハラ創業時のストーリー、
社内でも知られていない貴重な誕生秘話です。そこから変化し続けて今に至るんですね。
私たちは、行動指針を心に留め、日々業務に精進し邁進してまいります(゚Д゚)オーッ!!長い間、
大変お世話になりました。社内BBQなど、事務所に遊びに来ていただけると社員一同うれしいです。
感謝の気持ちを込めて。。。

思い出アルバム
懐かしの写真を見せてもらいました!約四半世紀前の写真⁉に時代を感じます。



創立30周年のパーティですね。今現在も在社している社員もチラホラ。。。



当時のタハラ野球部ですね!揃いのタハラロゴのユニホーム、キマってます!!
言わずもがなですが、前社長は野球好きです。そのおかげもあり、福利厚生では東京ドームと
ZOZOマリンスタジアムにシーズンシートがあるんですよ。



これは、千葉県印西市に移転する前の江戸川区船堀に会社があった時の写真ですね。
右下に日付があります。93年4月16日!なんと30年前!お若いですね~!!

-Hayes


ライター・ヘイズです。実は、サプライズゲストをお迎えしております!さぁ、誰でしょう。。。(゚Д゚)ダレッ!?

6月をもってご退任された鶴田前社長です(゚Д゚)オォッ‼前社長は、タハラへ入社してから永きにわたり、弊社をけん引してきてくださいました。
この度、ご退任されるにあたり深く感謝の意を表します。

それでは、インタビューをご紹介します!

【タハラへ入社された頃の話を聞かせて頂けますか?】
当時は珍しかったCADを学校で勉強していました。CADとは、設計や製図をコンピュータ上でおこなうツールで、画期的なものだったんです。
そして、就職活動中に『CAD要員若干名募集』と見つけ、自宅から通える距離にあった田原昭栄機工株式会社の採用試験を受けました。
現在の株式会社タハラですね。機械設計として入社しましたが、まずは機械を知るために組立チームの一員になり実習の日々でした。
その後、生産管理業務を担当し、最終的には営業部へと配属になりました。営業部に配属されてからは、部品注文業務に5年ほど従事してから
外勤担当になりました。なので、実は設計教務は3日間ほど繁忙期に手伝った程度でした。ちなみに、入社したての頃、CADはまだ導入されていなかったんですよ。

数十年前のことですが、今でも部品注文を担当していた時の過酷さを覚えています。今の時代と違い、メールやSNSはありません。
電話対応に明け暮れ、事務作業に取り掛かれるのは夜7時過ぎという日々でした。

コンビを組んでいた機械設計担当者は同期に入社した人です。つまり2人して機械をよく分からない状態で仕事をしていたことになります。
それに、古い機械の図面を見ても部品がよく解らないんですよ。そこで、24時間稼働していて、古い成形機も所有しているお客様の工場が
車で30分程度の距離にあったので、2人で夜中に図面を持参して機械を見ながら部品を確認したこともありました。

あと、パソコンなんて存在しない時代。図面を探す時も、マップケースに保管されている数千枚の中から1枚1枚探し出すんです。
そして、受注伝票や手配、注文書など全て手書きです。売上も金額を確認しながら手入力。。。売掛明細は縦横の計算が合わずに苦労しました。
毎日、終電に間に合わない程の残業でしたので、早々に車通勤に替えました。会社に寝泊まりすることもあったんです。今では考えられない状況でしたね。

【な、なんて過酷な。。。(゚Д゚)そんな中でも忘れられない話はありますか?】
やはり営業職としては、成形機を受注できた時の喜びは別格です。特に、新規取引が成立した時は感無量ですね。ドイツ製の成形機しか
持っていないお客様から受注した時、プラスチック容器の製造/販売を手掛ける業界大手企業と取引を始めることができた時。。。この時は、
お客様先に通い詰めていました。また、当時ライバル関係にあった親会社である日本製鋼所と同じお取引先へ営業活動をしていた時がありました。
まさか逆転受注できた時は、大きい声では言えませんが、とても嬉しかったですね。

【それでは、ここで秘蔵ストーリーなどあればシェアしてください!】
事業沿革にも載せているのですが、何度か株主が変わっています。現在は日本製鋼所ですが、実はMBOをして親会社を持たない独立した会社に
しようと計画した時期もありました。そのため、私自身も少額ですが買い取り資金を準備しようとしていました。しかし、紆余曲折を経て、
日本製鋼所の傘下に入ることを選択したんです。当時のタハラと日本製鋼所は、しのぎを削り合うライバル関係です。営業を担っていた私としては、
相見積もりの相手が日本製鋼所と聞くと、絶対負けるかと意気込んだものです。そんな経緯もあり、日本製鋼所が株主になると聞いた時は、
ありえないと驚きました。しかし、それから17年が経ち、タハラは国内のみならず、海外にも成形機の販路を拡大し始めています。
会社を成長させていくためにも、あの時の自分たちの決断は正解だったなと感じています。

《ヘイズの所感》
全てがアナログな時代。。。今では考えられないような働き方な日々の中、製造業の三現主義『現場/現物/現実』を実施しながらお客様や機械と
向き合っていたんですね。そして、営業職を務めていたからこそのストーリー!当時を振り返ると感慨深いです。
さて、来週もインタビューの続きをお届けします!(*゚▽゚)ノ

蔵出し!当時の会社案内を見つけました。レトロですが、素敵な会社案内です。その中に、20代前半の前社長の姿を発見!
ほんの一部、こっそりお見せします(*゚▽゚)ノ


ライター・ヘイズです。こんにちは!

皆さま、フランスのとあるご家庭のお庭から生まれたピンク色の変幻自在なキャラクターを
ご存じですか?このキャラクター、2020年には50歳の誕生日を迎えていたそうです。

ちなみに、その生誕50周年の際に、変幻自在な能力を活かして車になったそうです。
時々、ぶらりと公道を走りながら日本全国を巡っているようです。というのも、目撃情報を
入手したんです。

ちょっと前になるのですが、営業部所属のT・E社員が福島方面へ出張に行っていた時のことです。
なんと、高速道路を颯爽と走るピンクのパパさんを発見。サービスエリアで一緒になったところ、
記念写真を撮ってもらえたそうです。


特徴的なこの色!そして、フォルム!サイドのランプを見るとハートの形!!

細部にまでこだわっての変身です。


じゃ、じゃーん!なんにでも変身できるって羨ましいです。そして、まつ毛!いいですねぃ(*゚▽゚)ノ
巷の噂では、実際に出会えると幸せが来るとか。。。

偶然って重なるもので、この日、T・E社員が運転していた社用車の走行距離がなんと
『99999㎞』になったそうです(゚Д゚)ワォッ!!

こちらも、記念にパチリ。

フットワーク軽く全国津々浦々を出張している弊社営業チームの社員たち、次は
どこへ向かいのか乞うご期待です(*゚▽゚)ノ

-Hayes