ライター・ヘイズです。こんにちは!先週に引き続き、ご退職された顧問のインタビュー記事をお届けします(*゚▽゚)ノ

 

【タハラに在職中の社員へ向けて、一言お願いします!】

そうですね、3つほどあります。

①自分の仕事に対し、強い信念を持つこと。

強い信念をもって仕事に当たれば、人も運も引き寄せることができます。

②自分の仕事に対し、本道と側道を持つこと。これは、昭栄産業の社長の言葉です。

それぞれ、自分の仕事における「本道を極めること」を念頭において努力することが重要(なかなか達成は難しい事だと思います…)ですが、これだけでは技術者として不十分であります。本道のほかに、側道を持つようにしなければならない。その側道の知識、つまり趣味でも遊びでも何でもよく、興味をもって理論を理解することが多いほど、本道における業務に多くの助けになることがあるのです。

③ものづくりは真摯であれ。

ものづくりには、設計者の思いが正直に結果として現れてきます。「これでいいや」とか、「この程度だろう」という妥協があると、必ずしっぺ返しがきます。特に、トラブル対応などは、基本に返り、原因を正面からとらえ、場当たり的でなく真の対策を採らなければならないですね。

 

【ご退職を機に思うことがあれば教えてください】

一言、「諸先輩方も含め、皆さんに感謝」の気持ちです。入社後から、自分のやりたい「技術職」で生きてくることができ、この間、多くの皆様に助けていただき、ここまでやってくることができました。ありがとうございます。

 

【最後に、誰も知らないタハラ秘蔵ストーリーはありますか?】

1975年入社当時、醤油ボトルは塩ビ製が主流でした。そんな時、九州のメーカーから成形機の受注があり、単頭ダブルステーションの多層成形機を開発することになったのです。この成形機のヘッドに大きな問題はなかったのですが、型締機構(型締後に金型だけ下げてパリソンと干渉を防ぐ機構です)の駆動部品にトラブルが多く、結局はキャンセルになってしまったのです。この後、この九州のメーカーは、PETの2軸延伸の開発をおこない、国内初となるPET製の醤油ボトルを世に送り出します。以降、世の中の醤油ボトルは、PET製が主流となる時代を迎えるわけです。このように、タハラの多層成形機の歴史は45年前に始まりました。世の中のニーズに応えながら、日々改良をおこない、現在の差別化技術のルーツとなっています。

 

≪ヘイズの所感≫

インタビューを受けてくださって、ありがとうございます‼在職する社員への温かい言葉を心に留めて、日々業務に精進し邁進してまいります。たまに事務所に遊びに来ていただけると社員一同うれしいです(*^^*)長い間、大変お世話になりました。感謝の気持ちを込めて。。。

 

思い出アルバム②

 

【顧問談】船堀の旧設計室です。当時はドラフターを使っていました。

【ヘイズ談】なんとも時の流れを感じます。。。今はCADでデジタルな作図ですが、当時は手書き図面だったんですね!顧問は笑顔で作業中‼

 

【顧問談】タハラの野球部創設時の時の写真です。

【ヘイズ談】弊社には言わずと知れた野球部が存在するんですよね。顧問は左から2番目。良い笑顔してますね!右端に写るのは、なんと現技術部部長です。今も変わらない座り方!

 

-Hayes