タハラの歴史の1ページ vol. 4

7/14/23

ライター・ヘイズです。こんにちは!先週に引き続き、ご退任された鶴田前社長の
インタビュー記事をお届けします(*゚▽゚)ノ

【タハラに在職中の社員へ向けて、一言お願いします!】
そうですね、タハラの『行動指針』を大切にしていって欲しいですね。こちらです。

『結束は和をもって貴しとなす』
何事にも、社員同士が協力し合って対処していくことが大事です。

『行いは知行合一と心得よ』
自分が知っている事は実行する事。この姿勢は、どの業務にも当てはまります。

『感性で気付け、違和感を見過ごすな』
ちょっとした違和感や気付きは、本当に大切です。職場がより安全な場所へとなりますし、
自分自身や同僚を危険から守ることもできます。また、整備しやすく使いやすい機械の
製造にもつながりますよね。つまりは、お客様の満足度を上げることに寄与できます。

『変化なくして未来なし』
現状に甘んじてはいけません。これからも、良い方向に変化をしながら、
強い組織になっていってほしいですね。

楽しい社内イベントを誰でも立案して開催していける雰囲気が好きです。BBQやハロウィンは、
楽しみな社内イベントでした。一転して、仕事に取り掛かっている時は、厳しい目を持ちつつも、
お互いに助け合いの気持ちや行動を忘れずに。覇気のある元気な挨拶、問題が発生すると、
解決に向けて部署を越えて次々と人が集まってくる。こういったタハラの文化は、
いつまでも残して欲しいなと思っています。

【最後に、誰も知らないタハラ秘蔵ストーリーはありますか?】
では、タハラ創業時のお話でも。。。もちろん、私が入社する前のお話です。
タハラは、田原秀雄さんという方が1961年に東京都江東区砂町で創業した会社です。創業時は『田原鉄工所』という名前でした。もともと印刷機や製袋機のロール製造を
していたそうです。当時の日本は高度経済成長期の真っただ中。新たな事業として選んだのが
『ブロー成形』だったようです。当時、ブロー成形機の国内メーカーは4社程ありました。
どこもポリエチレンを使う成形機のメーカーでした。そこで、タハラは差別化を図り、
塩化ビニール(塩ビ)樹脂を使う成形機の製造を始めたんです。味付き海苔などが入っている
透明な筒状の容器といえばイメージし易いでしょうかね。こういった容器は、塩ビ容器が
登場する以前はガラスを使っていたんです。ガラスは重いし割れやすい材質ですが、
塩ビは割れないし軽いし丈夫ということで、一気にその国内市場を拡大させました。
また、育児アイテムとして欠かせないベッドメリー。当時はこのベッドメリーに
付いている動物たちの製造にもタハラの成形機が使われていたんですよ。今の市場では、
塩ビ容器は限られた用途だけとなり、ほとんどがPET樹脂に置き換わっていますね。

《ヘイズの所感》
インタビューを受けてくださって、ありがとうございます‼タハラ創業時のストーリー、
社内でも知られていない貴重な誕生秘話です。そこから変化し続けて今に至るんですね。
私たちは、行動指針を心に留め、日々業務に精進し邁進してまいります(゚Д゚)オーッ!!長い間、
大変お世話になりました。社内BBQなど、事務所に遊びに来ていただけると社員一同うれしいです。
感謝の気持ちを込めて。。。

思い出アルバム
懐かしの写真を見せてもらいました!約四半世紀前の写真⁉に時代を感じます。



創立30周年のパーティですね。今現在も在社している社員もチラホラ。。。



当時のタハラ野球部ですね!揃いのタハラロゴのユニホーム、キマってます!!
言わずもがなですが、前社長は野球好きです。そのおかげもあり、福利厚生では東京ドームと
ZOZOマリンスタジアムにシーズンシートがあるんですよ。



これは、千葉県印西市に移転する前の江戸川区船堀に会社があった時の写真ですね。
右下に日付があります。93年4月16日!なんと30年前!お若いですね~!!

-Hayes