タハラの歴史の1ページ vol. 3

7/8/23

ライター・ヘイズです。実は、サプライズゲストをお迎えしております!さぁ、誰でしょう。。。(゚Д゚)ダレッ!?

6月をもってご退任された鶴田前社長です(゚Д゚)オォッ‼前社長は、タハラへ入社してから永きにわたり、弊社をけん引してきてくださいました。
この度、ご退任されるにあたり深く感謝の意を表します。

それでは、インタビューをご紹介します!

【タハラへ入社された頃の話を聞かせて頂けますか?】
当時は珍しかったCADを学校で勉強していました。CADとは、設計や製図をコンピュータ上でおこなうツールで、画期的なものだったんです。
そして、就職活動中に『CAD要員若干名募集』と見つけ、自宅から通える距離にあった田原昭栄機工株式会社の採用試験を受けました。
現在の株式会社タハラですね。機械設計として入社しましたが、まずは機械を知るために組立チームの一員になり実習の日々でした。
その後、生産管理業務を担当し、最終的には営業部へと配属になりました。営業部に配属されてからは、部品注文業務に5年ほど従事してから
外勤担当になりました。なので、実は設計教務は3日間ほど繁忙期に手伝った程度でした。ちなみに、入社したての頃、CADはまだ導入されていなかったんですよ。

数十年前のことですが、今でも部品注文を担当していた時の過酷さを覚えています。今の時代と違い、メールやSNSはありません。
電話対応に明け暮れ、事務作業に取り掛かれるのは夜7時過ぎという日々でした。

コンビを組んでいた機械設計担当者は同期に入社した人です。つまり2人して機械をよく分からない状態で仕事をしていたことになります。
それに、古い機械の図面を見ても部品がよく解らないんですよ。そこで、24時間稼働していて、古い成形機も所有しているお客様の工場が
車で30分程度の距離にあったので、2人で夜中に図面を持参して機械を見ながら部品を確認したこともありました。

あと、パソコンなんて存在しない時代。図面を探す時も、マップケースに保管されている数千枚の中から1枚1枚探し出すんです。
そして、受注伝票や手配、注文書など全て手書きです。売上も金額を確認しながら手入力。。。売掛明細は縦横の計算が合わずに苦労しました。
毎日、終電に間に合わない程の残業でしたので、早々に車通勤に替えました。会社に寝泊まりすることもあったんです。今では考えられない状況でしたね。

【な、なんて過酷な。。。(゚Д゚)そんな中でも忘れられない話はありますか?】
やはり営業職としては、成形機を受注できた時の喜びは別格です。特に、新規取引が成立した時は感無量ですね。ドイツ製の成形機しか
持っていないお客様から受注した時、プラスチック容器の製造/販売を手掛ける業界大手企業と取引を始めることができた時。。。この時は、
お客様先に通い詰めていました。また、当時ライバル関係にあった親会社である日本製鋼所と同じお取引先へ営業活動をしていた時がありました。
まさか逆転受注できた時は、大きい声では言えませんが、とても嬉しかったですね。

【それでは、ここで秘蔵ストーリーなどあればシェアしてください!】
事業沿革にも載せているのですが、何度か株主が変わっています。現在は日本製鋼所ですが、実はMBOをして親会社を持たない独立した会社に
しようと計画した時期もありました。そのため、私自身も少額ですが買い取り資金を準備しようとしていました。しかし、紆余曲折を経て、
日本製鋼所の傘下に入ることを選択したんです。当時のタハラと日本製鋼所は、しのぎを削り合うライバル関係です。営業を担っていた私としては、
相見積もりの相手が日本製鋼所と聞くと、絶対負けるかと意気込んだものです。そんな経緯もあり、日本製鋼所が株主になると聞いた時は、
ありえないと驚きました。しかし、それから17年が経ち、タハラは国内のみならず、海外にも成形機の販路を拡大し始めています。
会社を成長させていくためにも、あの時の自分たちの決断は正解だったなと感じています。

《ヘイズの所感》
全てがアナログな時代。。。今では考えられないような働き方な日々の中、製造業の三現主義『現場/現物/現実』を実施しながらお客様や機械と
向き合っていたんですね。そして、営業職を務めていたからこそのストーリー!当時を振り返ると感慨深いです。
さて、来週もインタビューの続きをお届けします!(*゚▽゚)ノ

蔵出し!当時の会社案内を見つけました。レトロですが、素敵な会社案内です。その中に、20代前半の前社長の姿を発見!
ほんの一部、こっそりお見せします(*゚▽゚)ノ