タハラの歴史の1ページ vol. 1
4/9/20
ライター・ヘイズです。こんにちは!今週と来週、弊社社員ブログではサプライズゲストをお迎えする予定です(゚Д゚)ダレッ!?
さぁ、そのゲストとは。。。先月をもってご退職された顧問です!(゚Д゚)オォッ‼顧問は、タハラに入社以来45年の永きにわたり、職務に精励され、弊社の発展に多大の寄与をしてくださいました。この度、ご退職されるにあたり深く感謝の意を表します。
それでは、インタビューをご紹介します!
【タハラで働き始めた頃の話を聞かせて頂けますか?】
1975年(昭和45年)に入社した当時は、株主である兼松江商と同じ子会社だった昭栄産業と合併し、田原昭栄機工となった時期でした。本社は江戸川区船堀、工場は葛飾区四つ木にありました。当時の経営状況は最悪でした。入社直後の12月には、賞与支給をめぐって、組合はストライキをするような状況です。タハラの創立後、ストライキがあったのは、この1回のみです。合併前に、ほとんどの中空成形機の設計者が退職してしまい、残った設計者は中空成形機の知見のない素人ばかりでしたが、それでも若手社員の多い職場で、明るく活気のある団結力の強いチームとして楽しく仕事ができました。
【忘れられない話などありますか?】
大手化学メーカーのK社と、3600本/hのロータリ成形機を共同開発するか否かの打合わせをしている時でした。K社の担当者から「タハラさんの技術力は何ですか?」と問われ、当時のタハラ副社長が、「当社には特異な技術力はありませんが、どこにも負けない行動力があります。」と答えました。これがきっかけで共同開発が始まったのです。共同開発が始まり、K社の担当者から、「夜遅くまでテストをし、翌朝には改良図面ができている。改良箇所が修正されている。」と当社の行動力を評価していただきました。タハラのものづくりの姿勢を理解してもらうことができたと瞬間だと思います。これらの経験を通し、現在のK社と信頼関係を築くことができたと思っています。
【もっと忘れられない話を聞かせてください!】
入社直後の当時は、2年ごとにプラスチック・ゴムに関する展示会が開催されていました。タハラは、主力機種だったTPの後継機としてTPZの開発展示をしました。TPZは、押出機駆動モータを減速機直結型にしており、当時は直結型押出機の先駆けでした。私は、この減速機の設計を担当していました。先行技術資料などなく、知見もなかったため、技術図書を参考にしながら、歯車の強度計算をして設計を完成させました。しかし、これを製作/組立て、いざ運転すると大きな音が発生してしまい、展示会で運転できる状況ではなかったのです。直結型とベルト駆動では歯車の回転数が大きく異なり、高速運転する歯車は研磨しなければならないことが分かりました。また、これが音の発生原因だったわけです。成形運転ができなかった展示会は、この時だけだったと思います。
≪ヘイズの所感≫
会社の合併、ストライキ、人材不足。。。前途多難なキャリアスタートだったんですね。それでも、当時の若手設計者たちが今のタハラの基礎を築いてくれたと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。ものづくりに対する姿勢もさることながら、トライアル&エラーで臨んだ展示会も、当時を振り返ると感慨深いです。さて、来週もインタビューの続きをお届けします!(*゚▽゚)ノ
【顧問談】入社当時の設計員と皆で信州にドライブ旅行をした時の写真です。
【ヘイズ談】右端にいらっしゃるのが若かりし頃の顧問ですね。なんと、当時25歳‼
-Hayes